Q1:鳴り砂とはなんですか?

一言で言えば、砂に急激な力を加えたとき、キュッキュッと音を発する砂のことです。

そのキュッキュッという音を周波数分析すると、約200ヘルツ~1200ヘルツの音が発生しています(その音は、容器の大きさや、鳴らし方、測定の方法、砂の性質などで大きく変わります)。しかも、その音は、倍音構造をもっています。気持ちいい音は倍音構造を持っているのです。

 

Q2:砂ってなんですか?

砂とは、2mmから0.063mmまでの大きさの粒のことです。ですから、海岸のあの白い砂ばかりが砂というわけではありません。砂鉄もその範囲の大きさなら、砂と呼ばれます。

鳴り砂のスナと言った場合は、その成分は石英が主流です。

 

Q3:どうして、音が出るのですか?

きれいな表面を有した砂が、擦れ合う場合に、摩擦音として発生しています。現象としては、皆さんが、ガラスコップをきれいに洗って、指で擦ったときに音が出るのと同じと考えていただければよいかと思います。科学的には静的な摩擦と、動的な摩擦が繰り返されて、あのような音が出ています。

 

Q4:鳴り砂になる条件とは?

調査の結果では、

  1. 砂粒の大きさ 0.2から0.6mm程度の砂浜
  2. 石英砂が多く含まれていること。
  3. 砂粒の形が、丸みを帯びている。これは結果的に、自然の砂は長年の月日でそうなっています。鳴り砂を人工的に作って光学顕微鏡的に観ると、自然の鳴り砂のように必ずしも丸くなっている必要はないことが分ってきました。
  4. きれいな海であること。
  5. 海が安定していること。土砂などがいつも流れ込んできていないこと。
  6. いつもきれいな水で洗われていること。実は、水で洗われている必要はありません。沙漠にも鳴り砂はあるんですから。でも、日本のような海岸の鳴り砂は、きれいな水でなければなりません。

 

Q5:鳴り砂と普通の砂とはどう違うのですか?

グランドの砂や砂場の砂は、砂の表面に粘土のような小さな粉がくっついています。それは鳴り砂にはなりません。また、海岸の砂のように、絶え間なく洗われていませんので、表面は汚れ、傷がついています。全く表面の光沢がありません。それでは鳴りません。砂で山を作ると、鳴り砂の砂は高い山になり、普通の砂は低い山になります。

 

Q6:日本にはどれくらいの鳴り砂の海岸があるんですか?

国土交通省の資料によると、日本の海岸総延長は34,415,466km(約3万5000km)。私の今までの調査(2000年現在)では、100ヶ所以上あったのは間違いありません。今、砂が鳴る海岸は、50ヶ所くらいでしょう。

 

Q7:島根県仁摩町馬路、琴ヶ浜はどんな鳴り砂の浜ですか?

海に向かって、左側は舟津港があり、右端は網屋港です。その直線距離は2kmで、砂浜は、1.5kmほど横たわっています。海岸線の近くだけですが、浜全体が鳴っています。全体が鳴るという浜はきっとここ琴ヶ浜だけかもしれません。

海水浴客の多い7、8月には、その近辺は音の発生感度が悪くなります。でも、その時期が終わると、またきれいな砂浜に戻り、素晴らしい音にもどります。琴ヶ浜の砂は、江の川からと言われています。

しかし、主流は琴ヶ浜を囲む背後の山から流れ込んだと私は考えていますが、その辺のことを少しずつ調査しています。背後は、川合層砂岩・礫岩や久利層泥岩、久利層デイサイト質火砕岩などで構成されています。

(地球科学38 巻4号(1984年7月)「島根県仁摩町地域の中新統の変質過程」井上多津男)

 

Q8:琴ヶ浜の名前の由来はなんですか?

浜を歩くと、キュッキュッと琴を弾くような音が響いてくることから名付けられたといわれています。また、琴ヶ浜には、次のような琴姫伝説が残っています。

 

 『長門壇ノ浦の源平合戦で平家が敗れ去った寿永4年(1185年)春のこと、激浪に洗われて痛々しい姿になった1艘の小舟が馬路の浦へ漂着しました。その中には、みめうるわしい姫が、気を失って倒れていました。その優しい腕には、しっかりと琴が抱かれていました。

 姫は村人達の手厚い介護により、ようやく元気になり、若き命は助かりました。 姫は平家の一門でありました。哀れな平家の最期に寄るところ無き身を、情け厚いこの馬路に留めることにした。 それから、せめて村人たちへのお礼にと、日毎夜毎、姫が奏でる琴の音が、浜一帯にやさしく、時には悲しく、白浜に響き渡りました。 奏でる琴の音色は村人たちをはげまし、なぐさめたといいます。村人たちは姫を心から慕いうやまうようになりました。

 しかし姫は、恐ろしかった戦いを思い、また都の生活をしのび、いまの運命のはかなさを嘆かずにはいられませんでした。 そうして1年、春がめぐってきたある日のこと。漁から帰った漁師たちは、いつも響く琴の音が聞こえないことに気付きました。これをおかしく思い姫の住家を訪ねてみると、美しい姫は舟の中で琴を抱いて倒れていました。ちょうど、この浜に流れ着いたときと同じ姿で、すでに息絶えていたのです。

 村人たちは、姿美しく心優しかった姫の死をいたみ悲しみ、浜一帯が見下ろされる丘に、琴と一緒に葬りました。 翌朝、漁に出ようとした漁師たちが浜を歩くと、琴を奏でるような美しい音が鳴りました。村人たちは、きっと姫がこの浜に心を残していったに違いないと言い合い、この浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました。』