鳴り砂の秘密

鳴り砂とは、丸みを帯びた石英が65%以上含まれ、外部より急激な力を加えると音を発する砂のことをいいます。

鳴り砂の浜は日本で約30ヵ所確認されていますが、浜がゴミ等で汚れていないことや砂粒がほぼ均一であることなど稀な条件下で鳴り砂になります。浜の全域にわたってよく鳴る砂浜は、今では数えるほどになってきて、500万年と言う悠久の時に育まれたこの奇跡の浜「琴ヶ浜」は、日本有数の鳴り砂海岸として注目されています。

鳴り砂の秘密

 

琴ヶ浜と琴姫伝説

琴ヶ浜は、仁摩町馬路の海岸に約1.6kmにわたって続く砂浜です。

1996年に、『日本の音風景百選』と『日本の渚百選』に選ばれました。

夏は海水浴で賑わいを見せ、冬は日本海の北風と荒波の激しさを見せつけます。

穏やかな日には、ただ浜に座り、ザーッザーッと寄せては返す波に悠久の時を想い、さらに目を転じては眩い白砂青松の浜を満喫するのも楽しみのひとつ。昔は、満月の月明かりとイカ釣り船の漁火で泳ぐ子どももいたことです。

今でも、毎年の盆には、里帰りした若者や近郷近在から人々が集い、古い歴史や伝統を今に伝える盆踊りが3日間夜を徹して踊られます。

参考:pdfファイル「鳴り砂の資料」(PDF:705kB)

 

冬の晴れた日の琴ヶ浜

冬の晴れた日の琴ヶ浜

 

琴姫伝説

 壇ノ浦の源平合戦で平家が滅亡した寿永4年(1185年)春、波に洗われ痛々しい姿になった1艘の小船が馬路の浜へ流れ着きました。その小舟の中には、たいそう美しい姫が一人、気を失ったまま横たわっていました。そのか細い両腕の中には、しっかりと琴が抱かれていました。

 姫は村人たちの手厚い介抱により。少しずつ体力を取り戻し、消えそうだった一命を取り留めることができました。姫は平家一門であったため、平家が滅びた今となってはもはや帰る住まいもなく、ただ身を隠しながら、情け深い村人たちにすがって生きるより他に道はありませんでした。

 姫はこれまで村人たちから受けた数々の情けや恵みへのお返しにと、日ごと夜ごと琴を奏で続けました。その琴のしらべは、時に悲しく時にやさしく浜一帯に鳴り響きました。その音色は、いつも村人たちをはげまし、なぐさめたと後々まで言い伝えられています。やがて日が経つにつれ、ますます村人たちは姫を心から敬い慕うようになっていきました。

 けれども姫は、恐ろしかった戦(いくさ)が思い起こされるたびに、それまでの華やかな都での生活がしのばれ、この世の運命のはかなさを嘆かずにはおられませんでした。

 そうして1年が過ぎ、春が巡ってきたうららかなある日のこと、海の漁から帰ってきた村人たちは、いつも鳴り響く琴の音が聞こえてこないことに気づきました。この異変を案じた村人たちは、姫の住まいを訪ねてみると、この浜に流れ着いたときと同じ姿で、姫はすでに息絶えていました。村人たちは、美しく心優しい姫の死をいたく悲しみ、浜一帯が見渡せる丘に琴と一緒に葬りました。

 翌朝、漁に出ようとした村人たちが浜を歩くと、琴を奏でるようなやさしい音色が浜から鳴り響いてきました。村人たちはこの音色こそ、姫が村人たちのためにこの浜に残してくれた琴のしらべに違いないと言い伝え、その後、この浜を「琴ヶ浜」と呼ぶようになったとのことです。

 

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